自分のアル中と次女の反抗期と母の認知症

まあ色々重なるってことですよ。

けらえいこさんの漫画「あたしンち」の中で、お母さんがいうんです、

「人生は皿回しよ!」って。

名言。

いくつも同時に皿をまわして、回せるようになると回さなくちゃいけない皿がさらに追加される。

あ、書いてて思ったけど駄洒落みたいね。

いくつも回してるとさ、疲れるじゃん。止められないし。この疲れと吐きたい愚痴や弱音はどうするのよどうにもならないわよって心身ともにマヒさせるためのアルコール。

つらさばっかりじゃなくなって、たまにはいいこともあったってさ、大変よアナタ。若いころにはそれなりにあった憤りもこだわりも色々諦めていま46歳だけど、それでもあなた、なかなか日々穏やかにってわけにはいかないの。

面白いこと全然言えない私だけど、私なりに皿回しなのよ。手も足もつるわけよ。

やすみてぇ。

誰かが作ってくれたおいしくて身体によさそうなものを食べて、自然の中を散歩とかして、昼寝して、紅茶とか飲んで、編み物とかしちゃってさ、夜は清潔なシーツの大きいベットで眠りたい。

とりあえず1週間くらい。

神様。

口を開けば私は正しいっていうな

仕事をするうえでプロジェクトの進行よりも自分の正しさが大事っていう人いますよね。

「あれ、まずいねうまくいかなそうだねどうしようか」って時に、未来にむけてその問題をクリアするために今何をすべきかの話をするのではなくて、まず過去にさかのぼって今までに自分は間違ったことはしていないからこのうまくいかなさは自分のせいではないっていうのをメールとか議事録とか証拠まで出してきて周りに主張する人。私の仕事をそんなに軽く見てもらっちゃ困る、私はちゃんとやってたんだから、いまさらそんな色々言われても対応できるわけじゃない的なことを言い出す人。私のせっまい人生の中の偏見だけど、だいたい女性。小学校で「しっかりした〇〇ちゃん」、て言われて、そこから抜け出せない臭。間違えない私、偉い。

もうさぁ、そういう人いると本当にそがれるんだよね。

あなたが正しかろうが正しくなかろうが、どうでもいいんだよ。

直接の誰かさんのミスのせいだったかもしれないよ、でもそんなことは今いいんだよ。

大事なのはこのチームとして、この仕事に携わっている立場として、どう解決するかなんだよね。

自分の正しさを主張しなくたって、仕事ぶりを客観的に見てれば分かるんだよ、本当にできるやつかどうかは。

っていうのを、だいたいの男性はもう面倒くさいからいちいち相手に言わず、「そうだね~、〇〇さんちゃんとしててくれるから助かるよ~」とか言うんだよ。だから「自分正しい女」は結局自分の痛さに気がづけず、自分は仕事できるって思って、気づいたらいい歳した面倒くさい女ができあがる。あなたが気づかないだけで、近くにヨゴレを引き受けてくれている人がいるんだよ。あなたが勘違いして無能扱いしている人がいるんだよ。気がつこうよ~。

だんだん自分に求められている仕事内容が、正確さ、きれいさ(期限とか、金額とか、書類の内容とか)が重要なものになってきているようであれば、「自分正しい女」になっている可能性が高い。自分正しい女にはそれがいちばん向いてて、かつ、周りに害が少ないからね。

それでね、たぶんね、少しずつ、いつの間にか仕事なくなってくるんやで。

くわばらくわばら。気をつけようっと。

大事なものって何なのか

広告機構(AC)のCMを見ると、東日本大震災を思い出す。

エイ・シー🎵、のメロディを聴きながら思う。

いまは普通じゃないんだと。

東日本大震災のあの日、職場から道を間違えつつ8時間歩いて自宅に帰った時の途中の風景が脳内に蘇る。

逆流していた神田川が、

同じ方向に歩いていたたくさんの人たちが、

分岐点に立って道案内をしてくれていたあの人が、

歩いている途中にこちらの状況を知って旧友が送ってくれたメールとか、

途中から一緒に歩いたおばさんとか、

最寄り駅の銀行の明かりの下に避難していたたくさんの人が、

シャッターのしまった駅が。

普通って何なんだ。

いままでとおんなじに戻るのか。変わるのか。

私たちの生活や意識は、東日本大震災の前とは変わっているのだろうか。

 

生活が劇的に変わると、その生活の中で自分が

何を維持し何を手放す判断をするのか

何に傷つき何ならスルー出来るのか

に向き合わざるを得ない。

そうすると、もう前提条件が変わっても、気づかなかったフリができない。

きっとそことどう向き合ってこの後生きていくのか、なんだろうな。

スイッチを探せ

昨日久しぶりに出勤して普通に仕事をしていたのだが、昼過ぎから左肩に痛みを覚え始め、だんだん普通にしているのもつらいほど痛くなってきて、湿布を貼ったりイキって風呂に入浴剤を入れてみたりしたのだが、翌日の19時現在まったく治らない。

40肩の類はやったことがある、これは40肩ではない。何をしていてもつらいので、かなりやばい。何かが乗っている。いやいっそ噛みついている。

10年くらい前にやはり肩が痛すぎて藁にも縋る思いでカイロプラクティックというものに行ってみたとき、痛い肩の方にストレッサーが存在していませんか、と言われたことを思い出す。その時も確かにそちら側にいたストレッサーは現在ほぼみんな左側にいて、久しぶりに出社したせいでその毒気にあてられたうえに毒気がひどすぎたせいなのかもしれない。

イベントを中止にしたので、通常業務に加わったその事後処理がやってもやっても終わらない。毎日職場に通っていたころは家に帰ってきてしまえば開き直ってもう明日、と区切りがつけられたのだがテレワークの現在、やろうと思えばいくらでも仕事ができてしまうため、根性なしの私はついつい仕事をしてしまって悪循環だ。

このスイッチオンオフには、なんらかの強制力が必要なのだろうと思う。うちの偉い人たちは、私(というよりも自分以外の他人)にまったく興味がないので、上からのなにか優しい指示は絶対にやってこない。ゆえに自分で自分への強制力を探さなくてはならぬ。まあ、なれないがゆえに余計な力が入ってるし、余計な作業をやっていることも確かなのだが、とりあえず会社に通っていたころよりは間違いなく私は私のことを観察しており、この状態でどういう考え方でどういう生活を送るといちばんパフォーマンスを発揮できるのかを今更ながらに色々試してみているのだ。

自分のスイッチを、探さなくては。

とりあえず、今日も2日連続で入浴剤を入れてみることにする。

淡々と生活し淡々と業務をこなす

緊急事態宣言が延長され、ああこのみんなが少しずつ不便で少しずつ不安で、ピリピリしている感じ(それが連鎖するとなかなかに面倒くさい事象になって出現しその解決もなかなかに困難になる感じ)がまだ続くのか、と思ってとりあえずビールを開けました。

仕事がらみでは、誰も悪くないけど、あーーーー、きっついわー、という類のメールが入っており、ゴールデンウイークだけどテレワーク環境が整っちゃってるせいで見えちゃうし無視できないからPCを立ち上げて関係者にメールするとすぐ返信がきたりなどして、あーーーー、みんな仕事してるわー、と腹にずしんとくるわけです。

一方家の中を見れば、そこには家族の生活があって、子どもたちの生活を守らないでどうすんねん、と母ちゃんは思うのです。今日は5月5日、近所のスーパーに売ってました、菖蒲。菖蒲を買える状態を作ってくださっている農家さん、流通関係業者さん、小売業さん、本当にありがとう。私が気づけないだけで、働いてくれている人たくさんいるはず。働けなくて、苦しんでいる人もたくさんいるはず。

私は今日も晩ご飯を作ります。

仕事も日々の暮らしも、何かウルトラCな解決策があるわけではなく、ただ目の前のタスクを淡々とこなすと、ふと気づいて振り返った時に気づくこともあるのかなと。

時々視線を上げて先を見たら、また視線を落として、ただ黙々と、自分のタスクをこなしていこうと、菖蒲を見ながら考える5月5日。

 

昨日の朝から身体が軽くなった

太り気味カテゴリに所属していますが、当社比として。

朝起きた時の感じがなんか違う。起き上がれる。

今までも、土日は朝起きられなくて昼まで布団の中にいることが多く(5時に起きて長女弁当を作って送り出してからの二度寝ではあったが)、それで元気になった気はしていたが、それとは全然違う。

ほぼテレワークになって1ヶ月、娘たちの部活に合わせた5時前起床の弁当作りによる睡眠不足と、複雑なお年頃の娘たちのサンドバック役、会社に行けば上からも下からもケチョンケチョンというどこにも持っていけない悲しい気持ちを毎日の飲酒でごまかしてきた生活は、

テレワークになったって上からも下からも評価されないのは変わらないけどあからさまな相手の顔を見ずに済み、それにより感情が動かされなくて済むのは大きい。

もう一つは、1か月前までは、朝は娘たちが早く家を出てしまい、夜は私の帰りも遅く、一緒にいる時間が圧倒的に少なかった娘たちとずっと一緒にいることだ。それで今までやってきたのだが、今はずっと家にいることで、娘たちからなんか「お母さんが家にいる(肯定的)」な気配を感じることだ。生後2か月の産休明けから保育園通いをしていた彼女たちは、ものごごろついたときからお母さんは仕事帰りに迎えに来てくれる人だった。娘たちが高校中学のこのタイミングで、そんな気配を感じられることに驚きはあったが、なるほどそんなものかなと、昔を悔いても仕方ないのでお母さんは今喜ぶことにした。

要は負の感情労働が減少し、うれしい優しいという気持ちになることが増えた結果、身体から毒素や邪気が抜けたのではないかと勝手に推測している。

絶対こっちのほうが身体によさそうなので、今後も余計な毒素を身体に入れたくない。行動にうつせる対策を、あと1ヶ月のうちに、練り上げなくてはならぬ。

金曜日はカレー

緊急事態宣言で仕事がほぼテレワークになってから3週間ほどがたった。

個人的にはテレワークは仕事環境という意味で職場に負ける。

自分の書斎がないのでリビングの狭い畳スペースに設置したローテブルで胡坐をかいて仕事をしているとか、仕事してるのに高校生と中学生の昼食を作るとか、ダラダラしている奴らにどうしてもイライラすることを飲み込む苦労などを考えれば、精神的にも物理的にも「仕事をする」意味において職場の環境が圧勝だ。

一方、そもそも対面時も理解に困難を極めた偉い人達とのコミュニケーションは、言外の諸々を自らの妖気によって察知することができないため彼ら彼女らから送られてくるテキストベースでしか見ることができなくなった結果、もう二度と関わりたくないと思うレベルに達しつつある。

中間管理職である既婚子持ち46歳零細企業勤務の私は、上にげんなりしつつ下に気を使い、仕事をしてるのに「ちょっとスマホで動画とってよ」などと言ってくる高校生長女やお母さん制服着てみるとかいきなり言い出す新中1次女なども相手にしつつ、アラフィフのくせしていまだ捨てきれない優等生気質のせいですてきな奥さんを目指してひたすら酒に逃げるのだ。

STAY HOMEがうたわれだしてから、「金曜日はカレーの日です」と言い出したのは夫だ。夫の実家は、かつて平時でも金曜日はカレーの家だったらしい。お義母さんは、パート。そんなに忙しくなかっただろうと思うが、たぶん、食うだけ食って料理の感想も言わない息子2人もうカレーでいんじゃね、と思ったのだろう。結婚した当初、金曜日にカレーじゃなくて驚かれたし(そっちにびっくりだよ)、シフト休みなので平日自分が休みで夕食当番の日にカレーしか作らないので、結婚何年めかに私が壮大にキレて、お前は二度とカレーを作るんじゃねぇと言ってから、このコロナになるまで夫にとっては禁断のカレーであったはずだが、ここへきて、今こそカレー復活!そうだカレーだ!と僕超いいこと思いついた的な感じで非常にうざい。

ついでに言えば趣味系のものを販売する小売業の夫、営業時間はかなり短縮されたが一応毎日出勤している。家でもなんかパソコン開いてるけど、なんかこう大変そうな顔をされると首を絞めたい衝動に駆られる。

私も相当大変なんだよ。オマエこんどその仕事してる風な感じでマイナス方向の独り言いったらマジで許さねぇ、お前んとこの若い衆も、お前がマイナス方向の独り言いうたびに絶対死ねって思ってるからな、って一応いったから、次やったら絶対クビしめる。握力40以上あれば素手で人殺せるって書いてあったしかつて剣道部の私握力は42だからな。

で、夫が金曜はカレーカレーと言い続け3週間ほどたち、ついに次女が「今日はカレーの日でしょ」などと言い出したので、私はこれからカレーを作らなくてはいけない。

夫の実家の習慣と、

それに抗う割と料理が好きな嫁と、

料理の能力が非常に低くそれを心から克服する気がない夫(嫁談)、

非常事態宣言と、

習慣て恐ろしいよね今日カレー?っていう娘と、

娘にはもう結局弱い母である私と、

まあそんなこんなで、今日はカレーなのである。

ちくしょう。

長女の動画は、娘所属の部活のみんなで○○に使われて、そのうちインスタで公開になるはず。

カレー作るかぁ~。ちくしょう。